僕が学生の時は、吃音がすごく嫌で恥ずかしかったです。友達もいたし、いじめられたとかもないから周りから見たら、普通の学生だったかも。
でも、先生に当てられたらい嫌だなと思ってたし、何かの発表があると1か月前からビクビクしてました。小学生の5年生くらいの時に「死にたい」って母親の前で泣いたこともあります。
まぁでも、今振り返るとここでもこうやって書けるくらいに軽い話になってますね。
もし、僕が過去に戻ったらどう考えるか?どう行動するか?と同じ悩みをもってる学生の人にいい影響が与えることができたらいいなーと思ってます。
と言えるように今を努力する
吃音って完全には治らない。だから、誰かに親しい人に相談すると「治す」ではなく「受け入れる」「うまく付き合っていく」ってことに焦点を当てて話をしたりすることがめちゃくちゃ多いですよね。
「吃音とうまく付き合っていく」って言葉はなんか嫌い。なんか弱者みたいじゃない感じがする。
もし、「受け入れる」「上手く付き合っていく」で、完全に納得できるならそれでいいのかもしません。でも、僕は当時から頭では理解はしたけど、全然納得できなかったです。
僕がこうやって発信をしてることを実践してもらうと高確率で改善すると思います。でも、絶対に吃音が完全に治るって保障はありません。もし、将来、吃音だった過去を忘れるくらい変化するのか?って聞かれると「いや~、どうかな~」って思ってます。
僕は「吃音は個性だから、受け入れるのが大事だよ」ってあんまり言いたくないです。それよりも「吃音だったから、幸せをつかんだ」という将来にしてほしいな思ってます。
基本的な原則として知っておいてほしいことがあります。それがこの2つ
吃音はきっとあなたにとっての大きな欠点になってると思います。正直、吃音自体が価値があるとは思いません。でも、ものごとは1面だけじゃなくて、いろんな見方があります。
例えば、吃音なら弱点だけ見ると「話すのが苦手」です。でも、吃音で悩んでいる人は
どうですか?僕の場合はこんな感じでした。欠点だと感じる「吃音を治したい」は努力しましょう。それと同時に、「吃音である自分だからこその長所」もあるはず。これを最大限に活かして幸せをつかんでほしいと思っています。
でも、将来には全く影響しないという事実
学校に行ってると、吃音のことで友達にからかわれたり、真似されたりして嫌な気持ちになることもあると思います。
でも、逆に自分が吃音で悩んでいることに真剣に答えてくれる友達もいると思います。正直に、嫌な友達に理解してもらおうと思っても無駄だと思います。そういう人はそっとしておいて、理解してくれる人を大切にするべきです。
でも、事実として知っておくと気が楽になることもあります。
それは、学生時代の友達は学校を卒業したら、全く関係なくなります。仲がいい友達でも1年に1回程度しか会わなくなります。生活環境が変われば必然的にそうなってしまいます。
学校を卒業してみると思うとわかりますが、社会に出てからの方が責任は増えますが、自由な選択がめちゃくちゃあります。自分が求めれば、気の合う人と出会うこともできます。一人がいいなら、一人で生きることもできます。学校よりも自由です。
時が経てば、違った景色がたくさんある!というのは理解していても「今がつらい」ってこともたくさんあると思います。
その時は、最悪逃げてしまえばいいと思ってます。僕も学生の時の発表とかは仮病で学校を休んだりしたこともあります。別に、そのせいで今困っていることもありません。
学生からすると、まだ先の話になりますが、会社に就職しても一緒です。死ぬほど嫌なら辞めてしまっていいと思います。バイトもぶっちしてしまっていいです。死にたくなるくらい嫌だと感じるなら100倍くらいその方がマシです。
でも、ただ逃げるだけではダメ。常に「逃げてもなんとかなる」っていう状況をつくる必要があります。
この続きは、次の仕事に関する記事に書いておきますね。続き→http://kokage-navi.com/4825